おいしいごはんを食べる、ということが才能が必要なことだとは知らなかった

音声と文字で解説するので、お好みの方でどうぞ!!
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友人からの「こんなにハラハラするごはんの話ははじめて」という感想に惹かれて
noteやSNSでこのタイトルを見かけるたびに、ずっと気になっていた本です。
でも私は、小説が苦手マンなのです。
実用書やビジネス書、エッセイは比較的すんなり読めるのに、小説になると途端にハードルが上がる。
なぜなら、登場人物が覚えられないから。
「この人、誰だっけ?」となって前に戻る。
また出てきて、「あれ、この人はさっきの人だっけ?」となる。
なので、薄い本であっても、読み始めるまでにものすごく時間がかかります。
薄い本なのですがねー。
なぜこの本を読むことになったのかというと、友人にお勧めされたからです。
「こんなにハラハラしながら読むごはんの話ははじめて」という気になる感想を添えて。
その言葉が妙に気になって、その場でAmazonを開いてポチッと購入しました。
そして読んでみると、たしかにハラハラする。
ごはんの話なのに。
というより、これは「ごはん」を通して職場の人間関係を見せられている話なのでしょうか。
私は、登場人物の芦川さんという方が苦手でした。
ああいう、どこへ行っても可愛がられて、誰かが気にかけてくれて、困っていれば自然と助けてもらえる人が。たぶん、羨ましいんでしょうね。
私はどちらかというと、押尾さんのように仕事を頑張ってしまうマンです。
仕事ができるようになろう。
迷惑をかけないようにしよう。
ちゃんと役に立とう。
そうやって自分の居場所を作ってきたところがあります。
「可愛いから誰かが助けてくれる」という世界からは、ずいぶん遠いところにいる。
だから芦川さんを見ていると、
「なんでこの人ばっかり」
と思ってしまう気持ちも、正直よくわかります。
そしてこれは、会社を経営するようになってからも、意外となくならない感覚です。
むしろ人を雇ったり、チームで仕事をしたりするようになると、「公平とは何なんだろう」と考えることが増えました。
たくさん仕事をする人。困ったときに助けてもらえる人。
人から可愛がられる人。場を和ませる人。黙って誰かのフォローをしている人。
数字には出ないけれど、組織に必要な仕事をしている人。
会社という場所では、「頑張っている人」だけを見ていればいいわけではありません。
一方で、
「この人は大変そうだから」
「この人は弱いから」
「この人には仕方がない事情があるから」
と配慮を重ねていけば、そのぶんを誰かが引き受けることになります。
そして、その「誰か」は往々にして、ちゃんと仕事をする人だったりする。
ちゃんとやる人だから、さらに仕事が集まる。
文句を言わない人だから、さらに任される。
それは果たして公平なのか。
女性として働いてきて、そして今は経営する側になって、私はこの問題を何度も考えてきた気がします。
ただ、だからといって私は押尾さんに共感したかというと、そうでもない。
たぶん私は、押尾さんも苦手です。
そして二谷さんも苦手でした。
きっと、分かり合えないだろうと思う。
だって私は、食べることがとても好きなのだもの。
おいしいものを食べることは、私の人生にとってかなり大事です。
仕事が大変でも、おいしいものを食べればちょっと機嫌が直る。
旅行に行けば、その土地で何を食べるかを考える。
誰かと会うなら、おいしいものがあるとうれしい。
だから、食べることにほとんど楽しみを持てない二谷さんについては、
「そこはまったく分からないなあ」
と思いながら読んでいました。
つまり私は、この小説に出てくる誰にも、たいして共感できないまま読み終えたのです。
ところが、それで終わらなかった。
二谷さんの、物事を真正面から見ないような姿勢。
少し離れたところから人を眺めて、人生そのものをどこか冷めた目で見ている感じ。
そこだけは、なんとなく分かってしまった。
食べることについては、まったく分かり合えない。
人との関わり方も、たぶん好きではない。
なのに、
世界を少し斜めから見てしまうところだけは、
「ああ、ちょっとわかる」
と思ってしまった。
それが困る。
誰にも共感できない小説だったはずなのに、完全に他人だと思える人もいなかったのです。
芦川さんを苦手だと思う自分の中には、「可愛がられる人」への羨ましさがある。
押尾さんを見れば、仕事を頑張ることで自分の居場所を作ろうとする姿に、まったく身に覚えがないとも言えない。
二谷さんには共感できないと思いながら、人生をちょっと冷めた目で眺めてしまうところだけは、分かってしまう。
経営者になると、人を見る側になることが増えます。
「あの人は頑張っている」
「あの人には配慮が必要だ」
「あの人は周囲から好かれている」
「あの人に仕事が偏っている」
そんなことを考えて、人を配置したり、仕事を振ったり、時には評価をしたりする。
でも、その判断をしている自分自身だって、まったく公平な人間ではない。
好き嫌いもある。
羨ましさもある。
「私はこんなにやってきたのに」と思うことだってある。
だから経営とは、制度や数字だけではなく、自分の中にあるこういう感情とも付き合い続ける仕事なのかもしれません。
この小説を読んでいてハラハラするのは、登場人物たちが単純に「嫌な人」だからではないのだと思います。
「私はこの人とは違う」と思いながら読んでいるのに、ときどき、自分の中にも同じようなものを見つけてしまう。
嫉妬だったり。
苛立ちだったり。
誰かを評価する目だったり。
人に優しくしたい気持ちと、「でも、それって公平なの?」と思ってしまう気持ちだったり。
そういう、職場ではなるべく表に出さないようにしている感情を、ごはんというとても日常的なものを通して見せられる。
だから、こんなに落ち着かないのかもしれません。
そしてタイトルは、
『おいしいごはんが食べられますように』。
こんなにやさしい言葉なのに。
読み終えたあとでは、ずいぶん違う言葉に見えてしまいました。
そして経営者としては、もうひとつ思います。
みんなが気持ちよく働けますように。
みんなが公平に扱われますように。
みんなが無理をしなくて済みますように。
そんな言葉もきっと、「おいしいごはんが食べられますように」と同じくらい、やさしくて、難しい願いなのだと思います。

なにはともあれ私は美味しいご飯が食べたい。


