―姓を変えるということは、何を差し出すことなのか

音声と文字で解説するので、お好みの方でどうぞ!!
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こんにちは!代表マネージャーのかんのです。
今回ご紹介する本は、『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』です。

ちょっと刺激的な表紙の本です。
SNSのレビューが良くて、気になって読みました。
「今日から法律が変わりました」
この一言が、これほどまでに人の人生を揺らすことがあるのかと、読みながら何度もページを止めてしまった。
鳥飼茜さんの『今世紀最大の理不尽 それでも、結婚がしたかった』は、
姓の変更という一見すると事務的で些細に見える出来事から結婚制度そのものが内包している歪みを驚くほど生々しく、
そして可笑しみを失わずに描き出している。
二度の結婚と離婚を経て三度目の結婚を前にした著者が直面するのは、感情の問題ではなく「制度」だった。
家庭裁判所でもらった氏の変更許可書。期限は書かれていない。
問題なく手続きを終えられるはずだったその紙切れが、法律改正という偶然によって突然無効になる。
その理不尽さは、決して珍事で終わらない。
なぜなら、その影響を受けるのは、圧倒的に女性だからだ。
結婚によって姓が変わる。それは名前が変わるだけのことではない。
過去の仕事、信用、履歴、そして「自分が自分である感覚」が、少しずつ、しかし確実に削られていく。
その違和感を、著者は自分の身体を通して言語化していく。
読んでいて、思い当たることがあった。
私自身も、なんの疑問も抱かないまま、当たり前のように姓を変えた一人だった。
夫から「私の姓にする?」という話が出たことは一度もないし、私自身もそれを相談するという発想すら持たなかった。
結婚とはそういうものだと、深く考えもせずに受け入れていたのだ。
ただ一つ、どうしても手放せなかったものがあった。
ビジネスネームとしての旧姓だ。
なぜ残したいのか、当時の私はうまく説明できなかった。
だから人には、「夫の苗字は全国に多すぎるから」と、もっともらしい理由を口にしていた。
けれど今思えば、それは本当の理由ではなかったのだと思う。
仕事の場で名前が変わることが、自分が別の人間になるような感覚を連れてくるのを、無意識に恐れていたのかもしれない。
姓を変えることが、思っている以上に多くのものを差し出す行為であることを、体が先に知っていたのだ。
印象的なのは、「夫の姓になって初めて気づくこと」があまりにも多い点だ。
法律婚は平等を前提にしているはずなのに、現実には男女の力学は静かに、しかし確実に傾いていく。
制度は中立を装いながら、個人の関係性に無自覚な歪みを持ち込む。
そのことを、著者は怒りだけでなく、観察と考察によって掘り下げていく。
それでも、著者は「結婚をしない」という結論には飛びつかない。
三度目の結婚を、あえて法律婚として選ぼうとする。
その姿勢が、この本を単なる制度批判に終わらせていない。
「それでも人はなぜ結婚したいのか」「なぜ制度は個人にここまで干渉するのか」という問いが、丁寧に積み重ねられていく。
きっとこの本は結婚の本であると同時に、「自分を譲り渡さないとはどういうことか」を考える本なのだと。
鳥飼さんは女性として向き合おうと思うとめんどくさくて逃げそうになってしまうような問いに向き合ってくれて、本にしてくれたのだと思いました。
制度や社会だけではなく、私たち個人もまた、結婚を前に歪む。
相手に合わせようとする気持ち、波風を立てたくないという遠慮、自分が我慢すればいいという思考。
それらが、知らないうちに「当然」の顔をして自分の中に入り込む。
その怖さを、この本は静かに、しかし確実に突きつけてくる。
あとがきで語られるボーヴォワールへの言及も含め、本書全体には一貫して「愛と理性の両立」への強い意志がある。
感情に流されすぎず、しかし冷笑にも逃げない。そのバランス感覚が、文章にグルーヴを与え、読み手を最後まで連れていく。
結婚が、苗字変更が、私たちから奪うもの。
それは決して抽象的な自由ではなく、もっと具体的で、日常に根ざした「自分であり続ける感覚」なのだと、この本を読んで強く実感した。
働く女性として、パートナーシップの中で生きる人間として、この問いは、他人事ではない。
結婚をする人にも、しない人にも。
そして、すでに結婚制度の中にいる人にこそ、読んでほしい一冊である。



