子どもの頃から、抱えてきた「言葉にならない想い」

「きょうだい児」という言葉をご存知でしょうか?朗読演出やライターとして活動する「ゆたかあすか」に自身の人生で感じてきたこのことについて「半透明のわたし」と題して筆を執っていただきました。

#半透明のわたし kindleで読めますhttps://www.amazon.co.jp/dp/B07GCTQN8D

子どもの頃から、言葉にならない想いを抱えていました。
「きょうだい児」という自分の境遇は、誰かのせいではないし、“可哀想”と他人が決められるものでもないし、同じ立場の理解者が多いわけでもない。障害を抱える兄弟姉妹こそがサポートを必要としており、辛さそのものを分かち合えない自分は、献身的に支えていく役割であるということを、自然に胸の内に刻んでいく。家族へ心からの愛情を持っている方々ならば、そのようなことは苦ではないのだと思います。しかし、私はそれだけではいられませんでした。自分の心も誰かに見てほしい、理解して欲しいという欲求が、年月を重ねれば重ねるほどに強くなっていったのです。

子どもの頃は、語彙も弱くただ言葉に出来なかった。
目の前の現実が当たり前の世界だった。大人になったら、自分の弱い部分をさらけだすことを恐れて、何も言えなくなっていった。「良い子」「空気を読む子」「我慢強い子」。きょうだい児の特徴として挙げられるこれらの性質は、本当に私自身なのだろうか?そんな疑問が、今回の書籍の根底にある心です。

そしてこの悩みは私だけの問題ではないのだということにも目線が変わっていきます。両親の想い、友人からの励まし、そして同じ境遇の子ども達、大人達・・・私が心にしまってきたこの思いも、社会に向ける意味が、意義があるのではないかと、一縷の望みをかけて筆を執りました。

他者を知る=社会を生きていくことのヒントになれば
社会を生きていくには、様々な側面に触れていくことになります。そして、一昔前に比べてその境界線は徐々に薄くなってきているように感じます。障がい者を家族にもつ私のような人など、マイノリティな立場の人々とのコミュニケーションも増えていくことでしょう。
相手の事情を明け透けと聞けないことは事実であり、配慮になります。でもその距離を冷たいものにして欲しくは無い。この本が、他者を知る=社会を生きていくことのヒントになれば幸いです。

当事者の私よりも読者の皆様が感じるのかもしれない
両親の心だけは未だ計り知れないことです。本書の中に両親からもらった言葉が沢山出てきますが、果たしてどんな思いで出てきた言葉なのか、自分の解釈は正しいのか、書きながらも最後まで悩ましかった部分です。生まれた時から障がいを抱える家族がいる自分よりも、突如自分の子どもが障害を抱えて生まれてきた両親の方が、すさまじい葛藤を抱えていたのではないかと思うこともあります。
ですが、私は私の視点から「両親」という存在を描くことで、読者の皆様への「とあるきょうだい児を持つ親」の心境を想像する余白が出来るのではないかと思い、迷わぬよう書き進めました。もしかしたら当事者の私よりも読者の皆様のほうが、両親を心を垣間見ることができるかもしれません。

ゆたかあすか
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